同門会会報42号のあいさつ文を転記いたしました.2019年12月末発行)

最善(良質かつ適切)な矯正歯科医療 Good orthodontics とはなにか?小澤 奏

 矯正歯科医療とは,そして,最善(良質かつ適切)な矯正歯科医療 Good orthodontics とは何か」,この問いについて,任期を終えるにあたり私に課せられた課題としてお伝えいたしたく,皆様の紙面をお借りして寄稿させていただきました.また,巻末に「矯正歯科」の目的,意義について,収集できる範囲で得られた本邦の成書からの抜粋を記載させていただきました.

 備後福山藩出身の小林義直によってorthodontieが「歯列矯正術」と翻訳1されたのは1889年でした.この年は,大日本帝国憲法が発布され,フランス革命百周年を記念するパリ万博が開催された年であり,文献によると本年学術講演会でのテーマを拝借したゴーガン(Paul Gauguin 1848 – 1903,作品(1897)の言葉D’où Venons Nous / Que Sommes Nous / Où Allons Nous の真ん中(What are we我々は何者か?)は,この同時代を生き,この万博見物において近代技術や日本を含めた世界の珍しい文物を実見したとされています.

 「善good」は普遍的なものではなく,適応するカテゴリーによってその意味合いは変化します.それぞれの患者に対して医療従事者が施術する「善行の矯正歯科医療」は,その多様性を許容し,我々のためのゴールではなく,施術される患者-医療従事者(矯正歯科医)の関係において,「良質かつ適切な矯正歯科医療」について,常に考え続けていくためにきっかけやご参考になれば幸いです.

 人間の「善行good」という倫理,矯正歯科医療という「美の概念」,そして「社会society」と「個人individual」のかかわりについての問いは,まだまだとても大きく,少しばかり針の先ごとく光は見えてきているのですが,社会情勢の変化によってその到達点も移動することから,矯正歯科医療,社会・個人の概念変化とともに変わりゆく生まれたばかりの領域であり,複雑で壮大な人類の医療分野の一部であることが理解できます.

 現在の矯正歯科医療は,専門職訓練として,技術的なことに重きが置かれ,哲学的な概念,考え方に対する教育や考察が軽視されてきたことは,すでに多くの先生方がお考えになられ,何十年も前より指摘され続けていたことも示すことができました.

 最後に,本会報の挨拶文を書くために,大変時間を要してしまいました.すべては私自身の性分によるものであり,責任の一切は私にあります.天野編集委員長,吉見委員,長谷川委員をはじめ,お忙しい中をご寄稿いただきました名誉会員,会員諸氏の先生方,関係各位には大変なご心労ご迷惑をおかけいたしました.この場をかりて深くお詫び申し上げますとともに,心よりお詫び申し上げ,何卒ご容赦いただきますようお願い申し上げます.

 また,今後の広島大学歯学部歯科矯正学教室の発展,ならびに会員の皆様のご健康を祈念し,退任のあいさつの言葉とさせていいただきます.

(以下へ続く)

 -もくじ

 はじめに

 私と広大同門会とのかかわり

 SocietyIndividual

 善行(良質かつ適切)の矯正歯科医療とはなにか

 医療従事者(専門職)-患者関係における倫理

 

はじめに

 西洋文明による近代化の始まった明治から大正・昭和・平成,そして令和へと.継続する時代の中においても明治という時代は他を圧倒した近代化が計られた期間とされています.西洋歯科医学とともに伝来した歯列矯正術も,多くの先人の努力と積み重ねによって,まず「やり方」が模倣され,新しい国家が構築される中で,公衆衛生の一部分としての口腔衛生が形成されました.口中科から歯科が生まれ,「歯列矯正術」は「歯科矯正学」,そして「顎顔面矯正学」へと概念は変わりつつ現在に至っています.

 1年ほど前のことですが,同門会の教室への「寄与」のあり方について,とくに学術セミナーの企画,内容などについて,谷本幸太郎教授とお話したことがありました.その時に,谷本教授からいただいたお話は,「教室員へ歯科矯正医療の『やり方』ではなく,『あり方』についての企画や話をしてほしい」というご要望をいただきました.いろいろなセミナーや講演会が一年中,世界中で開催されています.新しい装置の開発や治療方法の考案,医院経営や人材教育,医業収入を増やすために歯列矯正を勧めるような法的ではなく倫理的に問題あるものなど.矯正歯科分野の善りよい医療目的やわれわれ専門職の使命について考えたり,議論する研修はあまりありません.我々は何者なのか?

 同門会societyの運営に当たり,当時の私は出席会員を増やそうと,参加しやすい(会員のニーズに迎合した)会を目指し,日本矯正歯科学会の開催地において会員懇親会を開催したり,人気のある善い講演会を目指しました.臨床経験豊富で知名度もある諸先輩方による講演会も開催できましたが,現在は少し途切れてしまっています.また50年という長い教室の歴史のなかで,人類の特徴でもある世代を超えたコミュニケーションを維持すること,元号に例えるならば,山内時代,丹根時代,谷本時代の会員の先生方の接着剤の役割をすることに腐心してきました.

 手にはいる出版された矯正歯科学の書籍をすべて調べますと,1978年(昭和53)に出版された下記書籍には,しっかりとこの答が丁寧に書かれておりました.この本は分担筆著という形ではなく,当時の日本における主要な教員が何度も議論を重ね,共著という形で出版されたものです.故山田建二郎先生(本会名誉会員)も著者の一人であり,総論の中に次の一文がありました.

 

『技術を中心とした治療学の進歩は,不正咬合の治療効果を高め,治療に伴う歯根吸収などの障害を避け,術後の安定を一層確実にするための努力の表現であって,このこと自体,非難されるべきではない.しかし,一方では,技術的進歩のみが独走して,そのあとにかずかずの矛盾が残されたという面がないとはいえない.とくに,歯科矯正学の学問体系に関する総論的な考察が遅れ,矯正治療の意義と目的とは,ともすれば不明瞭となり,このため歯科矯正学は,学生諸君からも,そしてときには矯正専門医からも,あたかも美容整形技術の一部であるかのように受け取られる結果を招いている.歯科矯正学は,現在,もう一度そのあり方について考える時期に来ているといえる.そして,学問の進歩とともに,また時代の流れと社会の変化とともに,常に考え続けるものでなければならない.(出典:歯科矯正学実習書 実習総論 p.1 医歯薬出版 昭和53 1978)』

 

「あり方」について考える時期:学問の進歩とともに,また時代の流れと社会の変化とともに,常に考え続けるもの.

 現在の変革(デジタライゼイション)も,明治以降から続く変革の一部であり,突然国境を越えてやってきたわけではありません.私が入局した1988年頃にデジタル化は始まり,そのスピードも格段に速くなっていますが,明治維新と同じように,渦中にいる当事者には,なかなか俯瞰できないことも事実です.しかし人類史に於いては,同様な変革は何度も繰り返されてきました.

 当たり前のことですが,われわれは人類史という時間軸の最先端にいます.新しい情報というコミュニケーション(論文や発表)は洪水のごとく生まれ続け,MEDLINEのような様々な個人的検索はより簡単となり,図書館での文献渉猟といった古典的スタイルはすでに困難となり過去の手法となっています.個人の知っている記憶量が価値ある時代から,情報検索の技術や選択する力,そして大きな方向性を予測し創造する力,知“の価値概念が変化し,創造する力がより求められています.この創造する力に加え,世代を超えたコミュニケーションも人類の特徴とされています.

 同門会は,教室の発展に寄与するための組織であり応援団です.教室で学んでいる教室員の先生方は,ぜひ30年後のご自分を想像しながら,現在の時間・日々をお過ごしください.私自身のこれまでの経験と,渉猟しえた情報から,以下の拙文をお読みいただければこの上なく幸いです.

 

私(個人)と社会,広大同門会とのかかわり

 私は1961年(昭和36)に愛媛県今治市に生まれました.小学校に入学する前まで,庭には薪(まき)がたくさんあり,お風呂はこれで沸かし,母はお釜でご飯を炊いていました.ガス風呂やガス炊飯器,三種の神器(冷蔵庫,洗濯機,テレビ)の普及が始まった高度成長期で,自宅に風呂がない家庭も多く,銭湯が一般的だった時代です.家の鍵は普通かけない時代です.祖父の家では,大きな氷を入れた箱が冷蔵庫です.今のような冷凍室付きの冷蔵庫はないのですから(家にないのではなく,この世に存在しない時代です.念のため),母は毎日肉屋,魚屋,八百屋へと買い物へ行き,子供の私はこれについて行き,買い物を手伝うのが子供の日常でした.エアコン冷房(当時はクーラー)が我が家に設置されたのは中学生の頃で,暖房機能が付いた後も,エアコンを「クーラー」と言っていました.山内先生が赴任され教室が開講した1968年はこのような時代だったと思います.都市部と地方の格差は今以上にあったと思いますが,私は今治という港町の幼稚園,小学校ではこのような環境に育ちました.

 この頃,私の反対咬合に気づいた父(歯科医)は,床矯正装置を作ってくれました.いろいろと説明された記憶も僅かにあるのですが,「これをはめておくように」と渡された弾線のついた床矯正装置は,使う理由も十分理解できていなかったために残念な結果になりました.朝は装着して学校に行きますが,給食時に人前で取り外すのがとても恥ずかしく,いつもポケットに入り続けました.一度,ポケットに入っているのが父に見つかり,期待に応えられていない自分との葛藤もありました.そのころ愛媛県にはじめて矯正歯科専門医院が松山市にできました.私をそこへ通院させるかどうかを家族会議で話し合った記憶も残っています.松山は母の実家であり,当時は電車で片道2時間半かかっていました.父と母は小学生の私に一生懸命説明したのだと思いますが,最後に言われた「松山に行くか?どうするか」という質問,そして,私は「行きたくない」と涙ながらに言ったこと,「どうしてや」と何度か聞かれた当時の情景はおぼろげながら記憶に残っています.

 自分にはまだ創造する力も乏しく,きれいな歯並びになったイメージもなく,ただとてつもなく遠い場所に一人で行くことに苦悩したのかもしれません.「本人が嫌だというのでしょうがないなぁ」という父の結論と,その後も少し母から説得された遠い会話の記憶もあります.両親は,現在でいうパターナリズムを行使することもなく,自立性を尊重していたのだなあと今となっては解釈しています.それ以後も,私の人生で両親からなにかを強要されることはなく育ちました.

 現在の私のクリニックには,大変ありがたいことに今治から多くの患者さまがお越しになられます.しまなみ海道の例をあげるまでもなく,この半世紀での交通事情は激変しました.今治-松山間は,電車34分,車45分という距離,東京へも飛行機で1時間で行けます.歴史という視点から見ると,交通機関の発達は,単に距離と時間を縮めるだけでなく,文化・文明の出会いによって世界観を変えてきました.人類史において,10万年前にアフリカを出た我々の祖先は,最後の氷河期が終わる今から1万年前,すなわち9万年もかかってほぼ全大陸に到達し,9,000年ほど前より農耕・牧畜を始めました.この農耕時代より産業革命が始まるまでの長い間,地球上で最も速い移動・伝達のスピードは「馬の速さ」でした.「馬の走る速さ」こそが「情報(言葉・書類・噂など)」や「人・物(肉・魚・野菜など)」の移動・伝達の最速でした.当時の人々は,その土地で一生を終えるのが通常であり,隣町で起こったことでさえ,その情報が伝わるのに数日,数週間を要し,隣国で起こったことは数か月,数年,異なる大陸へ新しい技術や書物が伝わるのには数十年から数百年かかったとされています.

 私は1987年に歯科医師となった後,口腔外科学の研修を1年経験した後,矯正歯科学の学びを始めました.当時,歯科医学という学問は技術習得,すなわち「やり方」としかとらえておらず,卒後は「ライトワイヤ―テクニック 医歯薬出版 1972」というまさに「やり方」の成書を読みつつ,歯科矯正学を学ぶ場を探していました.この年に,柄博治先生が歯科矯正学の研修講演を今治でされており,その受講生の一人であった父との縁から,山内和夫教授をご紹介いただきました.12月に面接の機会をいただき,翌1988年(昭和63)春より研究生として入局をお許しいただきました.こうして教室員の一人として学ぶ機会が始まったわけですが,ちょうどこの年は,教室開講20周年が行われた翌年で,一年先輩の坪倉(現;吉田)志乃先生や大堂敏彦先生,故坪井康弘先生,山内昌浩先生など,「もう一年早く入局していたらお前も祝賀会に参加できたのになぁ.楽しかったぞ」といったお話を伺い,大変残念に思いましたが,大変楽しい日々を過ごしました.

 現在のデジタル社会を想像などできない頃です.携帯電話やe-mailは存在せず,電話はダイヤル式黒電話でしたが,これからインターネットが生まれようとしていた時代です.新人教育は夜11時頃まで行うのが普通であり,教室セミナーでうとうとしていると芝かれたり,日曜日だけの週休1日で勤務していました.しかし,不思議なことに残っている記憶は多くの先生方との楽しい日々しかありません.

 今日では,文献はweb検索により直ちに読むことができますが,当時の文献渉猟は,記憶やメモを片手に医学図書館へ何日も通い,書庫や本棚から目的の文献を見つけ,ないものは他の図書館へ複写依頼し,手元に届くまで心待ちにしていました.集めた文献はファイルし,現在も持っていますが,望む文献を手に入れるスピードや手間は,移動と同じように,随分効率的になっています.では研究者にとって,論文を書いたり,研究に要する期間は半分になったのでしょうか?大学院の修行時間は相変わらず4年ですし,学部の入学から卒業までの時間も変わりません.効率化によっても,専門職や職人の修行時間が半分にならないパラドックスはどうなっているのでしょうか?過去においては「知識の量」が大きな価値を持っていましたが,現代では「知を探す力」と「選別する力」,「創造する力」に価値が移っているのでしょうか.

 入局5年目の1992年,どうしてもアメリカ矯正歯科学会にも行きたくなり,山内教授にお願いしてセントルイスの大会に参加しました.生まれて初めての海外渡航,はじめての異文化との接触で,出発前の成田空港では外国人の多さに感動し,自分は地球人なんだと感動したことをよく覚えています.その後,何度か海外渡航を経験させていただくうちに,1997年,今度は丹根教授のご高配により,フローニンゲン市に滞在して在外研究する機会をいただくことができました.

 異文化の中での様々な体験,外国の人々との日常生活での接触は,現在の日本社会societyや日本の西洋化の歴史を理解するために,計り知れない貴重な経験となりました.もう20年以上前の経験ですが,学んだことがよくわかるのは何年も経ってからだったり,最近になって,やっと腑に落ちたこともたくさんあります.現地で通った英話コースの教材は「sister修道女の日常生活」だったのですが,辞書を引いて,自動的に書かれている日本語に翻訳しても理解できません.自分が解体新書の杉田玄白のような感じです.ソマリアからの生徒に通詞のごとく教えてもらったこともありました.現教室員の先生方は,ぜひ機会があればではなく,なければ何としてでも自らが作り,異文化の中で生活する体験をしてください.これからのグローバル社会においての,人格や世界観を形成し,日本を俯瞰する貴重な日々になると信じて疑いません.日本語の「社会」と「society」という翻訳形成の違いを考えるルーツはここから来ているように感じます.

 そして,私と同門会との関りは,2006年.京面前会長より「小澤先生,副会長をやってくれませんか?」というお電話に始まりました.12年前のことです.入局1988年から退局2001年までの間,実は同門会の役務経験はなく,今思い出すのは山部耕一郎先生のお手伝として,同門会報を2Fのコピー機で印刷製本した程度のことでした.当時の会報はコピー製本だったのです.京面先生より委嘱をいただいた時,こうしたこともお伝えしたのですが,「いいですから」ということで副会長お引き受けすることになりました.

 当時の役員(学外)の先生方は,河底晴紀先生(福山),沖部則子先生(三原),野々山大介先生(東広島),宮脇雄一郎先生(宇部),そして私という構成で,広島に集合するのは困難でしたので,メールによる役員会を行っておりました.役員として初めて出席した総会は,当時,富士見町にあった歯科医師会館ホールで開催されたのですが,仕事の都合で少し遅れて会場に到着し,ホールのドアを開けて会場に入った時の感覚は今もよく覚えています.それは,「あれっ」というものでした.在局中は教室員の目線から同門会を見ていましたが,開業後に役員として出席した目線からは,学外の出席会員がとても少なく,役員以外はあまりおられなかったように記憶しています.この時の総会中,ずっと考えていたことは,「何とかせにゃ」と,会員にとっての参加する価値,所属する誇りとか.人間が集まるというのはどういうことなのだろうか.といったことを考えていたことをよく覚えています.

 それから6年を経て現職にご推薦いただきました.大変ありがたいことに京面執行部の役員の先生方にご続投していただくことができました.監事は山田哲郎先生にお引き受けいただき,さっそく張り切って役員会を始めました.しかし,広島市内在住は新道(現:河内)佳代先生のみであり,沖村先生(岩国市),野々山先生(東広島市),河底先生(福山市),宮脇先生(宇部市),本田先生(貝塚市)と,ほんとうに遠方より忙しい中お越しいただいていたことには,あらためてお礼と感謝申し上げます.

 2期目には,三代教授の50年にわたる会員相互の親睦維持を目標として,幅広い年代の先生方に役員をお願いいたしました.今後も末永く継続する同門会組織を作ることを試みましたが,今後のことは野々山副会長のご活躍を期待し,私自身が京面前会長からご指導いただきましたようにできれば幸いです.

 同門会という「社会」とは何ぞ?ということについて,私自身の考えの中でも,ずっと変わらない想いがあり,それは,「同門会の「主役」は教室員の皆さま」であるということです.会則においても,同門会活動のベクトルは学外会員から⇒教室員へ向いており,会員約200名(教室員は約40名ですが),の方向は,常に教室のためへ向いており,けっして教室員の先生方が事務作業を行う集団になるべきではないと思っています.教室を離れた会員は,現在の教室に在籍している教室員(の未来)を,自分たちの過去と重ね合わせ,温かく見守りながら,時々教室を訪れたり,教室員の出張先という立場で,何か(知識や経験)を教室員へ還元したいと思っています.自分たちが経験してきた時間軸からみた矯正歯科医療の実体験や,社会における経験を伝え,指し示すことで,教室員の先生方の方向性に何か役立てれば幸いです.

 

Society (社会) と Individual (個人)

 人類の進歩や紛争,変革の歴史は,つねに異なる文化や価値概念の衝突によって起こってきました.これらの異なる概念をどう受け止めるかによって,個人,組織,国の変化する方向性が変わり,歴史が作られてきました.本年の学術セミナーでは,「社会と医療」というテーマを取り上げました.現在ごく普通に用いられている「社会」という言葉は,幕末から明治までの日本にはなく,日本には「社会」という概念すら存在していませんでした.societyの翻訳語として「社会」が定着するまで,「世間」という語が用いられ,また「個人」という概念もありませんでした.

 私が主体性をもってsocietyという語をはじめて意識し,これに接しましたのは,入局時(1988年)に「日本矯正歯科学会入会申込書」を書いた時のことでした.当時の日本矯正歯科学会の英文名は,Japan Orthodontic Societyだったのですが,society=学会の概念が私の中で結びつかず,不思議に思って何人かの先生にお聞きしたり,調べた記憶があります.私は,この「社会」に出たばかりで,矯正学教室という「社会」に入り,また海外渡航の経験もなく,societyという異文化に由来する「社会」,翻訳成立による言葉の概念というものを理解していませんでした.

 Societyという概念は大変難しく,議論するためには,一個人の持っている言葉に対する解釈を共有することが必要です.「社会」とは何かということについて,「個人」という概念との対立ということも含めて,「倫理学 佐藤俊夫著」より引用いたしますと,「社会」は人間結合という結びつきの関係,結びついてできた集団の関係ということで捉えると,家族,学校,学会,大学医局,同門会,都市,国家,民族,人類など,すべて「社会」になります.複数の人間のある所は常に「社会」があることになるのですが,例えば,火事場に集まった野次馬については,これら共通の関心で引き留められて集まった人々は,火事場に対する関心は「個人」を結び付けているわけではなく,火事が消えたら解散する一時的なものであり,これは「群衆」であって「社会」ではありません.そして,佐藤は,「社会」は人間意思が肯定的に働くときに形成するとしたテンニィス(Tönnies F 1855-1936)を取り上げ,社会関係を 『共同社会(かけがえのない社会)』 と 『利益社会(つくられた社会)』 の二つの概念から述べています.大学を卒業して社会に出るという場合の「社会」は「利益社会」であり,家族,同門会や矯正学教室という「社会」は「共同社会」の意味になります.そして今回の「社会と医療」というテーマは,この二つの相反する社会の側面の両方を含んだものであり,人間社会が多様であることを含み,全体と個人の個別な意思を含んだ対立が次第に発生するようになります.

 同門会という社会は,世代(山内教授,丹根教授,谷本教授)を超えたコミュニケーションをとり,学び続けることのできる共同社会であり,実際に,本会会員の25%は,一個人ではなく,親子,夫婦,友人といった現実の家族,仲間といった,三つの「チ」 血の共同体,地の共同体,知の共同体として構成されています.こうしたかけがえのない社会では,会員(個人)同士の対立はまず起こらない了解の上に成り立っています.広大同門会では,習俗として,同じ釜の飯とも言いますが,同じ慣習や倫理の中で我々は育っているからだと思います.

 一方.他大学の医局ではまた異なった矯正歯科医療に対する考え方(分析法や診断基準)が共通の価値として存在したり,矯正歯科学会という「社会」では,その中の一個人に「利益社会(金銭にもとづく契約)」の概念を持つ者,共同社会の概念を持つ者が混在する結果,個人(会員)と社会(学会)の対立が生じます.そこには,規範や倫理が求められ,倫理的学的に,倫理と法律の対立が生じていることが見られることが現在のすべての学会の状況のように思います.

 歯列矯正術という狭い範囲から順次拡大してきた顎顔面矯正歯科医療という分野は,社会とのかかわり,社会的使命について変化を続けています.阿部によると,欧米における「society」と日本の「世間という社会」の違いは,基本的に前者は「個」があり,後者は「個」ではなく,「場」があると述べています.宗教観の違いもありますが,日本人は歴史を見るときに,「現在」を中心とし,「過去」も「未来」もその延長線上と考えますが,こうした日本の「社会(世間)」に欧米から近代科学が導入され,日本人の中に二重構造が生まれたと述べています.

 さて,教室員の先生方へお伝えしたいこと,このような話を書いているのは,私の体験に基づいた時間軸の中で,「変わりゆくもの」と 「変わらないもの」 についてご理解いただきたかったのです.それは最初に述べた谷本教授のおっしゃる「やり方」という技術や知識,「あり方」という個人の道徳や「~べき」の規範,倫理という部分です.教室という「共同体社会」や,「利益社会」の混在する矯正歯科学会では,この30年間で,技術や情報に関する「やり方」はとても速いスピードで変貌し,相反する二つの「社会」の価値観や「仕組み」も激変しました.

 一方,「あり方」の部分,「~すべき」という規範や倫理について,現在のわれわれの業界の状況は非常に混乱しています.これは,「社会」の状況や,自院を訪れる相談患者さまを見れば明らかです.矯正歯科医療における,歯並びの価値,「良質かつ適切な」矯正歯科医療とはなにか?

 

善行(良質かつ適切な)の矯正歯科医療とは何か? 規範・倫理,そして法による社会

 私は入局直後(1988),矯正歯科医療の倫理 Ethics に出会っていました.しかし,その時はさっと通り過ぎてしまい,現在に至るまで深く思うことはありませんでした.入局当時,まだ翻訳では辞書しかない時代,1年先輩の先生方は 「New Vistas in Orthodontics」を輪読していたのですが,私と同期入局の横山(現;山部)智世子先生,岩谷(現;藤田)有子先生の3人は,井藤一江先生にお願いして,当時出版された「Orthodontics: State of the Art, Essence of the Science, edited by Graber LW 1986. C.V.Mosby」の輪読をご指導いただくことになりました.この本の第1章は,ミシガン大学Moyers教授によって書かれた「”Good” orthodonticsとは何か」という内容で,アリストテレス「ニコマコス倫理学」の一節が引用されていました.

 インターネットも携帯電話もない時代,矯正歯科学の経験も知識も十分でない私たちは,「これどういうことなん?」と辞書を引きつつ翻訳をいたしました.日本語に置き換える作業はできましたが,societyを自動的に「社会」と翻訳するのと同様に,当時の翻訳プリントを読み返すと,日本語を深く考察するところまでは到達できていなかったように思います.いくつかの翻訳書の中でも,善いとされる京都大学のものを引用します.(原典はギリシャ語のため,英語版もいくつかあります)

  

 さらにまた,「善い」は「ある」と同じだけ多くの意味で語られる以上(8)(すなわち,「善い」という言葉は,たとえば神や知性について言われるように,ものの「何であるか」においても語られるし(9),またさまざまな徳について言われるように,「どのようなものであるか」においても語られる(10).また「善い」は,適度の場合のように,「どれだけあるのか」においても語られるし,さらには有用なものの場合のように,「何かに対して」においても語られ,さらには好機についてのように,「時」においても,あるいは住まいのような「場所」においても,その他こうしたさまざまなものにおいて語られるのである(11)),明らかに善は,普遍的な何か一つの共通なものではありえないであろう.なぜなら,もしそうであったなら,善はすべてのカテゴリーにおいてではなく,ただ一つのカテゴリーにおいて語られるものであったはずだからである

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(8) 「ある(存在する)に多くの意味があることについては,『形而上学』第七巻第一章参照.「実体」は「ある」と言われるものの一つの種類であり,「性質」や「関係」その他もまた,「あるもの」の種類をなしている.ここでもアリストテレスの着眼は,「善い」がそれぞれの種類の「ある」」に依存して語られる,という点にある.すなわち,カテゴリーの種類だけ,「善い」の種類も考えられる,ということである.

(9) すなわち,「神は善きものである」とか「知性は善きものである」と語られる.

(10) たとえば,「勇気があるのは善いことである」と語られる.以下で挙げられる,「適度」や「有用なもの」や「好機」についても同様に考えられる.

(11) アリストテレスは『カテゴリー論』では,(1)実体,(2)量,(3)性質,(4)関係,(5)場所,(6)時,(7)姿勢(横たわっているなど),(8)状態(・・・を履いている,など),(9)能動(切る,焼く,など),(10)受動(切られる,焼かれる,など)の10個のカテゴリーを挙げており,『形而上学』第五巻第八章では,「姿勢」と「状態」を除く八個のカテゴリーを挙げている.ここでは(1)から(6)までのカテゴリーに言及していることになる.

ニコマコス倫理学 第一巻第六章 p.18 アリストテレス 朴一功 訳 京都大学学術出版会刊 2016年 初版第七刷

 「善;good」という語は,「である」または「存在する」という語と同じように,多くの異なる使用法があることをアリストテレスは述べ,多くのカテゴリー<(1)実体,(2)量,(3)性質,(4)関係,(5)場所,(6)時,(7)姿勢(横たわっているなど),(8)状態(・・・を履いている,など),(9)能動(切る,焼く,など),(10)受動(切られる,焼かれる,など)>について述べています.われわれが国民へ提供する「良質かつ適切な」矯正歯科医療とは,患者との関係など多様なカテゴリーを含んだものが,哲学でいう「善行」なる矯正歯科医療と言えます.アリストテレスのあげたカテゴリーをわれわれの分野に適応すると,ただ手先の器用さや,技術的な卓越性といった歯科医師個人の技量(技術,知)だけではなく,実体や性質(例えば,行為を行う装置や意義),場所(診療所の設備,感染管理や施設基準など),時間(適切な治療開始時期や,治療期間の長さ,保定期間といった時間概念),関係(患者-医療従事者の関係)などを含み,それぞれのカテゴリーに応じて「良質かつ適切な」状態・行為があることから,「良質かつ最適な」矯正歯科医療は普遍性を持って示されるものではなく,それぞれのカテゴリーの優先順位やバランスをどのように考えるかによって,また時と場所によっても「良質かつ適切な」矯正歯科医療は多様性のあるものとなります.

2条(目的) 本機関は、プロフェッショナルオートノミー(専門家による自律性)の精神に基づき、 良質かつ適切な矯正歯科医療を提供するために、社会に信頼される矯正歯科治療の基盤となる矯正歯科専門医制度を確立し、国民の健康福祉の向上に寄与することを目的とする。(日本矯正歯科専門医機関規則より)

医療従事者(専門職)-患者関係における倫理

 医療従事者から見た「良質かつ適切」な医療と,患者の側から見た医療には,食い違いが生じることもあります.医療がサービス業であれば,患者の要望が優先されますので,治療方針が患者にとって最善の方法でなくても求めに応じなければいけません.例えば,「歯を抜かないでほしい」,「外科手術は行いたくない」,「目立たない装置で治療したい」,「治療期間を短縮する方法で行いたい」,「前歯の見た目だけを治してほしい」といった様々な患者の求めがこれに該当します.

 近年では,「歯を抜かないでほしい」という患者さまへは,CBCT画像によって歯槽骨から歯根が逸脱するリスクを明示したり,歯肉退縮による歯の寿命への影響をご説明できます.過去における抜歯論争というパターナリズムや情報技術不足の時代に起こっていた誤診は回避できるようになりました.また「外科手術は行ないたくない」場合は,前記に加え,歯の移動距離には限界があること,「目立たたない装置(裏側矯正,マスピース矯正)で治療したい」場合には,それぞれの治療装置の利点・欠点や,術者による技術的な熟練の違いなどを説明できます,「治療期間を短縮する方法」や「前歯だけ治したい」場合には,それぞれの治療における利点・欠点を十分にご理解いただくようインフォームドコンセント,あるいは近年ではシェアードディシジョンメイキングが必要とされます.

 患者の求めではあっても応じる義務がないものとして,医療においては「安楽死」や「麻薬,覚醒剤の注射」,「虚偽の診断書,証明書,領収書」といった違法な医療行為,明らかに「患者に害が及ぶような行為」,「害がなくても利益もない根拠のない医療行為」は,不適切な医療行為とされます.矯正歯科医療では,何が該当するでしょうか?

 もともと専門職 profession という語は,ラテン語の professio 「公共の場で宣誓すること」を意味する宗教的な言葉に由来し,後に,専門職とは一定の学問上の訓練と,何らかの社会的な誓約を求められる特別な職業 occupation をさすようになりました.かつての専門職は,医師,弁護士,聖職者など高い地位を持つ少数の専門家に限られていました.古典的な専門職の特徴は,①長期訓練によって得られた専門的知識や技術,②特別な責任感情の維持,③統制を伴う専門職団体の維持,⑤利益追求ではない固定報酬制度,などであったことが成書には書かれています.そして,現代の専門職は,①の技術的な専門知識よりも自己規制基準(プロフェッショナルオートノミー)として,その構成員がどのような義務を持つのか,どのようなことをしなければならないのかといった倫理綱領を持つこと重要視されているそうです.

 一昨年の教室開講50周年記念事業の時に,歴史を渉猟する中で,こうした規範や倫理の存在に気づいたのですが,医療も社会の営みの一つであり,個人と社会のあるべき姿を問う倫理こそ,われわれ医療行為をおこなう専門職の本質的な「あり方」の要素であり,変わらないものとして今後も考え続けるべきものであることが理解できました.「やり方」という技術的なもの,あるいは神の手やスーパードクターのような技術は,今後はコンピュータが代行する時代になろうとしています.「あり方」という部分は,医療従事者-患者関係や場所(安全管理,感染管理)を重視し,倫理学で重要とする部分,自分や自分の愛する家族だったらどうすべきか」という真摯さ,誠実さが倫理の命になります.

 例えば不屈の精神や超人的努力によって誰も成し遂げられないことを成し遂げた偉人より,倫理学では「~すべき」という「現実」,望ましいあり方へ変化できる実現の可能性や自分を棚に上げないできる範囲が求められます.倫理学の基準は,どこにもいない理想の抽象的人間ではなく,「国民」や「大衆」であり,倫理学の制約とその理論は,「一般的な人が常識的な努力によって実行できる範囲内」に留まることによって,規範は現実となり,世の中は現実的に善くなってゆきます.

 私は,こうした倫理の書籍をいろいろと読むうちに,厚生労働省や関係団体によって構想されてきた現実の新しい専門医制度の基本的考え方「あり方」が腑に落ちました.それは,国民の視点に立ち,「それぞれの診療領域における適切な教育を受けて十分な知識・経験を 持ち,患者から信頼される標準的な医療を提供できる医師を専門医と定義し,「神の手を持つ医師」や「スーパードクター」を意味するものではないことを専門医の条件としています.専門医であることは素晴らしいことであり,これを自院の宣伝に用いることは法律的には問題ありませんが,倫理的には問題があり,倫理と法が衝突することもあります.

 新たな専門医制度や倫理規定は,医療倫理の時代への転換点であり,歯科における生命医学倫理についても,医療安全や道徳・倫理の遵守の整備が行われていますが,歯科医療の専門職や倫理は,欧米においてさえ医科からは随分遅れているとされており,実際に私もこの「~すべき」という規範や倫理については,学会の決めた倫理規定を読んだりする程度で,今回いろいろ調べるまでは体系的に学んだ記憶はありませんでした..

 医科においては,いろいろな倫理的問題に直面した時,医療従事者がどう解決すべきかの指針として,①自律性の尊重(respect for autonomy),②無危害(nonmaleficence),③善行(beneficence),④公正(justice)という医療倫理諸原則が提唱されています.これに私の持つ矯正歯科医療の経験を考え合わせると,矯正歯科医療においてはまだパターナリズム的側面が強く見られるように思います.患者の要望は多様であり,古くは抜歯/非抜歯や,外科/非外科,歯根吸収や歯肉退縮など矯正歯科医療におけるリスクや我々の選択基準については倫理的側面から多くのことを考え直す必要があるように思います.

 (事例1) Aさん(19歳,大学生)は,口唇と前歯の突出の改善を希望して矯正歯科を受診した.臨床データから,下顎側切歯の先欠をともなう3-inciserの症例であった.骨格的不正,顎関節疾患はなく,大臼歯関係は両側ともにAngle class Iであり,大臼歯関係は1歯対2歯で緊密な咬合状態にあった.上顎前歯の大きさは標準値より大きい状態であり,歯性の問題から前歯部咬合状態と側貌が悪くなっていた.

 この患者に対して行うべき「良質かつ適切」な矯正歯科医療は,大臼歯関係と前歯被蓋のどちらを優先すべきででしょうか?患者にとって「最善」と思われることと,歯科医師の価値判断が対立するよい例かもしれません.

 まず,「良質かつ適正な」矯正歯科医療を提供するために,倫理的原則,個人(患者)と医療従事者の視点から考えてみると,ニコマコス倫理学の書においてMoyers先生も書かれているのですが,「先生!上顎第一大臼歯を遠心移動して,近心頬側咬頭が下顎第一大臼歯の頬側面溝と正しく噛むようにしてください」と言って受診する患者さまは,私の臨床経験においてもまだお会いしたことはありません.患者の求めている「良質かつ適切な」矯正歯科医療は,矯正歯科医療において定義されたAngle’s paradigmとはかなり異なっており,①大臼歯部の咬合を重視するのか,②見た目の審美的改善を重視するのか.それ以前に,私たちは「咬合」のゴールを本当に理解しているのか.私は「歯並びを改善すること」,と「噛み合わせを改善すること」の違いについてもう30年にわたって悩んでいます.患者の求める価値と社会の求める価値(例えば,専門医の症例展示)とはどちらが正しいのでしょうか.

 標準的な医療水準はその時代によって変わり続けており,個性正常咬合を達成したり,咬合や側貌を患者の望む状態へ改善するということには多様性が求められています.矯正歯科医療の目的である「噛み合わせ」と「歯並び」を達成するために,「咬合」と「審美性」の二つは常に両立するものでしょうか?

 (事例2) Bさん(48歳,会社員)は,歯並びの改善を希望しているが,初診検査から多数歯に歯石沈着があり,歯肉縁下歯石や歯肉退縮が認められ,中程度の歯周病に関する初期治療が必要である.こうしたペリオ-オルソ患者に対して,一般歯科医が包括的矯正歯科治療を施術することは合法ではあるが,十分なトレーニングを積まないで行うことは倫理的に問題があるかもしれない.また,逆の場合もあり,矯正歯科専門医が,カリエスを見逃したり,歯周疾患の治療前検査を行わない状態で,歯周病専門医との連携なく,歯列矯正を開始することは法的に,あるいは倫理的にどうであろうか.

 始めに引用した 「歯科矯正学実習書」は1978年(昭和53)に出版されているが,1985年の論文で同じことがモイヤース教授によって書かれていました.

Just as Robert E. Moyers6 believed that “Dentistry, like a river, rises no higher than its source—the dental school” — the future of orthodontics lies not only in the development of technology and science, but also in the development of an ethical mind in the orthodontist.

 矯正歯科の目的について,AAO(米国矯正歯科医会)では,『歯列矯正治療は複雑な医療プロセスであり,国民にとって最善かつ安全な方法は,資格を持つ矯正歯科専門医の直接かつ継続的な指導の下で治療を行うことである』とし,a倫理・道徳的方法による顎顔面歯列矯正のthe art (術) and science(知,學)を広く世界に広めること.b質の高い矯正歯科治療と口腔ケアの重要性を広め,国民の利益を擁護することにより,国民の健康を増進させること.c矯正歯科治療の利点と矯正歯科専門医の教育の質について国民に周知すること.の3点を挙げています.

Artthings humans made 人間が作りしもの( nature, science; things God made 自然)

Science自動的に「科学」という語に翻訳されることが多いがscienceは,ラテン語の <scientia> を語源として14世紀ごろ,英語やフランス語として用いられるようになった.ラテン語の <scientia> は,<scio> という動詞の抽象名詞で「知る」ということであり「知識」を指し「学問」を意味する.

 

矯正歯科医療の「あり方」の倫理的問題;

  1. 良質かつ適切な矯正歯科医療とは何か?

  2. 治療ゴールの多様性とその優先順位

  3. 矯正歯科医療-患者関係における倫理

 「学術の歴史は,歴史そのものがすなわち一つの學術であり,それを無視して,その学術の正確なる認識を得ることは決してできない」という富士川游先生のお言葉が腑に落ちます.

 教室員の先生方におかれましては,「われわれは何者か?」ということ,すなわち,「われわれは何をなすべきか?」という道徳の部分について,「矯正歯科医療とは何か」という基本的な問いについて,常に考え続けてください.答えはどこにも書かれていません.

 最後になりますが,共同社会でもある本会は,年月の経過とともに関係する人々も次第に増え,入退会,会員慶弔,ご結婚,ご出産など,共に学び,共に喜び,一つの家族として習俗とした決まり事(倫理)をまとめらたことが原型となり社会として成熟してきました.そして同門会という社会の構成員は,現教室員を遠くから応援しております.なるべく教室員の先生方には,会務運営の雑務をなくす(郵便物封入や印刷作業など,電子化できることは簡略化し,可能な限りのメール配信やPDFへの転換,会費請求は振替票のいらない銀行送金など)ようお願いできればと思います.雑務作業は,効率を考える時間になりますが,仕事の目的は仕事をなくすこと.歯科矯正学と同じように,「やり方」ではなく,人と人の関係性の「あり方」を考える時間をつくることに専念し,研究が人類の役に立つように考えていただければと思います.

 そして,現在の矯正齒科は,社会情勢に応じた倫理的側面をさらに考えながら,他の分野(歯周病,補綴,歯周形成,顎変形症など)とも密接に連携した治療計画の一部となり,美しい容貌や咬み合わせだけでなく,歯の寿命を延ばし,長期にわたる治療結果の安定性,そしてこれは患者の人生の安定性(健康寿命)にも影響する分野へと変化しているのではないかということを付け加えて終わりといたします.

 

1. 小林義直 歯科提要 印刷人 岡本利三郎 1889

2. 渡辺京二 逝きし世の面影 平凡社ライブラリー 葦書房 1998

3. 柳父 章 翻訳語成立事情 岩波新書 1982

4. 阿部 謹也 世間とは何か 講談社現代新書

5. 村上陽一郎 科学者とは何か 新潮選書 1994

6. 佐藤敏夫 倫理学[新版] 東京大学出版会 第49版 1996

7. 御子柴 善之 自分で考える勇気 - カント哲学入門 岩波ジュニア新書 2015

8. Tom L. Beauchamp & James F. Childress Principles of Biomedical Ethics. 8th ed. Oxford University Press 2019

9. トム・L・ビーチャム, ジェイムズ・F・チルドレス著 生命医学倫理 第5版 立木教夫他監訳 麗澤大学出版会 2009

10. 赤林朗 改訂版 入門・医療倫理Ⅰ 勁草書房 2017

11. 服部健司 伊東隆雄編 医療倫理学のABC 第4版 メヂカルフレンド社 2018

12. 田上孝一 本当にわかる倫理学 日本実業出版社 第3版 2019

13. 西田幾多郎 善の研究 講談社学術文庫 第23版 2019

14. 橋本鉱一 日本の専門職の構造について 日本図書館情報学会シンポジウム 2013

http://old.jslis.jp/events/130316/130316_hashimoto.pdf

15. 前川賢治 咬合に関するドグマ 日補綴会誌 3: 322-328 2011

16. クレイトン・M・クリステンセンほか:イノベーション・オブ・ライフ

17. Vig PS. Reflections on the rationality of orthodontics: toward a new paradigm. In: Vig PS, Ribbens KS, editors.

18. Gardner H. The ethical mind. A conversation with psychologist Howard Gardner. Harv Bus Rev 2007;85:51-6: 142.

19. Moyers RE. “Good” orthodontics. In: Singer J, Ribbens K, editors. On the nature of orthodontics. Monograph 1. Ann Arbor: Center for Human Growth and Development; University of Michigan; 1985. p. 15-30.

20. Science and clinical judgment in orthodontics. Monograph 19. Craniofacial Growth Series. Ann Arbor: Center for Human Growth and Development; University of Michigan; 1986. p. 15-59.

 

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以下は,矯正歯科学・矯正歯科医療の「意義」,「定義」,「目的」,そして「不正咬合による障害」について.いくつかの成書から渉猟しえたものを,年代順に列挙した.

1907 Angle, E.H. :

Orthodontics is the science of correction of malocclusion of the teeth.

 

1911 Noyes:

Orthodontics is the study of relation of the teeth to the development of the face and the correction of arrested and perverted development.

 

1922 British Society Orthodontics:

Orthodontics is the study of growth and development of the jaws and face particularly, and the body generally, as influencing the position of the teeth; the study of action and reaction of internal and external influences on the development, prevention, and correction of arrested and perverted development.

 

1947 高橋新次郎: 矯正齒科學 理論と實際 第六版(原文のまま)

第一章 矯正齒科學の意義:

 従来 矯正齒科學Orthodontics, Orthodontiaと云えば直ちに矯正装置の調整法,或はその應用法の研究であると云う様に考えられてゐたものであるが,これは非常に誤った見解であると云ふことが,斯學の進歩と共に,次第に明瞭となってきたのである。勿論矯正齒科學發達の過程に於ては前述の如く矯正器の研究,即ち言を換へていへば如何にして排列不正な歯牙を正常な位置に移動すべきかを研究するのが斯学の全使命であると考へられてゐたのである。然しながら近世に於ける斯学の急速な進歩は,遂に矯正器と云ふ器械的問題の舊殻を破って,不正咬合の本態を生物學的に闡明せんとする傾向を示すに至ったのである。従って矯正施術の實際に當つても徒らにこれが解決を器械學的方法にのみ求むることなく,生物學的にも亦この問題を解決しやうと努力するに至ったわけである。けだしこれは近世矯正齒科學の最も得異とするところと云つても差支へないと思はれる。

  不正咬合を矯正装置のみによりて征服せんとして既に行詰りを感じつゝあった斯學は刮然としてその進路を轉じ,生物學にその解決の基礎を求むるに至ったのが矯正齒科學の現状である云ひ得るのである。従って矯正齒科學とは「齒牙,齒牙周圍組織,顎骨及びこれらの周圍造構の正常なる成長發育を研究すると同時に,これらの諸造構の不正なる發育によりて生じたる不正咬合,顎骨の不正状態及び顔面の異常等の改善を行ふことを研究し,更に進んで,これら不正状態の豫防をも講究する齒科醫學の一分科なり」と稱することを得るものである。(マツコーイ McCoy, J. D.

 且て斯學の碩學,アングルAngle,E.H.がその著書に於いて「矯正齒科學とは,齒牙の不正咬合を矯正するを目的とする科學なり」と説破せえると對比すれば斯學發達の徑路を容易に知り得るものである。

 アングルの定義はこの近世矯正齒科學の見地よりすれば矯正齒科學の一分科である矯正施術 Orthodonntic treatmentの目的を説べて居るに過ぎないことがわかる。

 不正咬合並びにこれに依りて招来される顎骨の異常,乃至は顔貌の不正(勿論顎骨の異常が原因で不正咬合を生ずることも多いが)等は單に患者の咀嚼,發音等の諸機能を阻害するにのみならず,患者自身の精神上にも頗る重大な影響を及ぼし,これがため自らを卑下し,社會生存上常に大なる損失を招きつゝあることは吾々經驗するところである。例へば圖1-2のやうな甚だしい不正咬合に於いては,その顔貌上に及す影響も極めて大であつて患者自らもその點に關し,懊惱苦悶せることは明らかである。かくの如き場合に於ける矯正施術の目的は,單に齒牙の正常なる機能を恢復するばかりでなく,進んで顔面の不正おも改善することにより,より重大な意義を有することは明である。

 先きに著者は近世矯正學の根本問題は機械的問題より生物學的問題に推移しつつありと説けるも,これは矯正施術に際し器械的問題,即ち矯正装置等の應用を全く必要なしと云ふのではないのであって,勿論齒牙及至はその周圍組織の正常な發育を促し,且つその機能の完全を期するためには種々なる器械的手段を用ふることの必要でああることは,今更ら喋々を要せざる所である。然しながらこれ等の器械的方法は,飽く迄生物學的諸問題を解決するために利用される一つの手段に過ぎないものであって,それのみに依りて矯正學の諸問題は決して解決せられないことを断言したいのである。

 矯正装置は矯正家にとりて恰も外科醫のメスにも相當し得可きものであって,その器械學的要約を充分に知悉すると同時に,その性能に關しても該博な知識を必要とすることは論を俟たないのである。卽ち矯正器の良否,適應症の有無,應用上の物理的諸要件等が直ちに矯正施術の實際的効果に重大なる關係を有することは,頗る明瞭な事實である。従ってこれ等器械學的方面の研究も,亦矯正學殊に矯正施術學進歩の上には必要缺く可からざるものであることは贅言を要さないのである。然しながらこれ等の器械的要件を應用して,實際的の効果を得んとする目的物は,齒牙,顎骨,筋肉等凡て,生物學的要素に依りて支配されるゝものであることに想い到れば,矯正學本来の目的は機械的問題より寧ろ生物學的問題の方に,より重要性をおくを妥當なりと信ずるものである。以上論述した所に依りて,歯科矯正學の意義は略ぼ了解されたことと思ふ。

第一章 引用文献    McCoy, J. D. Applied orthodontia. 3rd edition. 1931, 17.

                            Angle, E. H. Treatment of malocclusion of the teeth. 7th edition. 1907, 7.

 

1958 Strang:

 歯・顔面の不調和の改善」の語句を追加.

 

1960高橋新次郎: 

歯,歯周組織,顎骨及びこれらに付随する諸構造(咀嚼筋,舌骨その他の部分も含む)の正常な成長発育を研究すると同時に,これら諸構造の不正な発育によって生じた,咬合の不正,顎骨の異常形態および顔貌の不正などの改善を行うことを研究し,さらにこれらの不正状態の発生を予防することをもあわせて研究する歯科医学の一分科である」

 

1966 Salzmann JA:

 精神的な健康」の概念を追加.

 

1972 Graber, T.M. :

 矯正学一般を,三つのカテゴリー,すなわち予防矯正(preventive orthodontics),抑制矯正(interceptive orthodontics),本格矯正(corrective orthodontics)に分類した.

 予防矯正:ある特定の時期において正常咬合と思われる本来の状態を守る処置をとること

 抑制矯正:この段階の治療は歯牙顔面複合体の発育過程において将来,歯列の不規則性や位置異常が起こりうる可能性を見つけ出し,それを除去するためのもである.連続抜去法など

 本格矯正:抑制矯正と同様に,不正咬合が既に存在しており,その症状やそれに伴う続発症を軽減し,除去するために矯正治療を行う必要性がある場合である.これらは通常,機械的なものであり,抑制矯正において使われたテクニックよりも,いっそう広範囲にわたるものである.本格矯正にあたってはとくに専門的なトレーニングが必要とされる.

 

1978 Christian Schulze: (シュルツェの歯科矯正学 山内和夫訳)

歯科矯正学の役割; 歯,口腔,それに顎の特殊分野である歯科矯正学には,大きく分けて次の四つの果たすべき役割がある.すなわち,

a)      不正咬合」を認識すること.これは主に歯列と咬合の異常を指すが,不正ないし不調和な顎の大きさや形も対象となる.“正常な”歯群と比較(頭の中で)する方法で,認識するのと並行して,それらの不正咬合を診断,すなわち大まかに分けること(分類)をしなければならない.

b)      2の役割は不正咬合の評価である.その際に問うべきことは,その不正がいつ発生したか,どの程度の徴候を示しているか,その民族(集団)における発生頻度はどの程度か,集団の違いによる発生頻度に違いがあるか,その他の不正(奇形)が同時に,平均以上に発生しているか,などである.この問題はむしろ形態発生に近いものであるが,疫学と呼ばれる.さらに奇形の原因となっている外因あるいは内因要素を問う.この場合は病因論という表現が用いられる.

c)      歯科矯正学の第三の役割は奇形の治療である.これは多種多様な装置と方法を用い,また多様な治療目的のもとに行われる.

d)      4の役割は不正咬合の監視である.この場合,予防という表現が用いられる.歯科矯正学においては早期治療法がこの仕事を助ける.これはさらに,治療後の再発防止も含める.

 

1981 American Association Orthodontists:

Orthodontics and orthopedics is the area of dentistry concerned with the supervision, guidance, and correction of growing and mature dentofacial structures, including those conditions that require movement of teeth or correction of mal relationships between teeth and facial bones by the application of forces and/or simulation forces within the craniofacial complex.

 

2000 Pfoffit WR:

現代歯科矯正学の目的は,正しい上下顎歯の咬合関係,美しい歯並びと顔立ち,治療後の長期にわたる咬合の安定性,そして歯の修復という要素の間に最良のバランスを創り上げることである.

 

2012 第3版 新しい歯科矯正学 永末書店:

【矯正歯科学の定義】歯科矯正学とは,顎,顔面,頭蓋の正常な発育を研究するとともに,成長発育の不正により生じた異常の改善について研究し,さらに進んで,これらの異常の発生を予防することを研究する領域である.もちろん,歯科矯正学は臨床歯科医学であるから,矯正歯科治療を通じて総合咀嚼器官に現れた異常を改善し,さらにこれらの異常を予防する手段を研究し,実践する領域でもある.

【矯正歯科治療の目的と意義】歯並びが原因で起こる色々な不具合,例えば「見た目の悪さ」,「噛みにくさ,喋りにくさ」,「齲蝕,歯周病」などを軽減あるいは治癒させるためには,どのようなことをすればよいのか.また,これらを未然に防ぐにはどのようにすればよいのか考え,これを実行するのが矯正歯科治療である.

矯正歯科治療では,上記のような不具合で悩んでいる患者を,その悩みから解放するのが最終目的であるから,患者の精神的な問題にも注意を払う.すなわち,不正咬合に由来する患者の悩みを外面的にも,内面的にも改善するのが矯正歯科治療の目的であるといえる.

このようなところから,矯正歯科治療の意義は治療を通じて不正咬合で悩む患者が通常の社会生活を営めるようにするということにある.

【不正咬合による障害】

B 心理的障害

 人間は社会的生物である.すなわち,他人と無関係に社会生活を営むことはできない.この場合,顔貌,歯並びなど直接人の目に触れる部分の外観が,言葉以上に人間関係に影響することが考えられる.

 個人の性格にもよるが,不正咬合による顔貌の不調和を気にして劣等感を持ったり,消極的になったり,ときには闘争的になったりする場合がある.このために,社会生活に支障をきたすことが考えられる.

 

2017 AAO Glossary:

orthodontics/ dentofacial orthopedics That dental specialty which includes the diagnosis, prevention, interception, guidance and correction of malrelationships of the developing or mature orofacial structures.

Orthodontist A dental specialist who has completed an advanced post-doctoral course in orthodontics which is accredited by the American Dental Association.

orthognathic Normal relationships of the jaws.

orthognathic surgery Surgery to alter relationships of teeth and/or supporting bones, usually accomplished in conjunction with orthodontic therapy.

orthopedic Correction of abnormal form or relationship of bone structures. May be accomplished surgically (orthopedic surgery) or by the application of appliances to stimulate changes in the bone structure by natural physiologic response (orthopedic therapy).

 

A 生理的障害

 ①    咀嚼機能障害

 ②    発音障害

 ③    顎骨の発育に及ぼす障害

 ④    齲蝕発生の誘因

 ⑤    歯周疾患の誘因

 ⑥    外傷の誘因

 ⑦    補綴修復を困難にする

 ⑧    顎関節症の誘因

B 心理的障害

 

Definition of orthodontics

a branch of dentistry dealing with irregularities of the teeth (such as malocclusion) and their correction (as by braces); also :  the treatment provided by a specialist in orthodontics

Serial: The Dental cosmos; a monthly record of dental science. [Vol. 70]

Angle, Edward H.: The Latest and Best in Orthodontic Mechanism. 70 (12), p.1143-58, Dental Cosmos 1928.

 

2017 5版 歯科矯正学 医歯薬出版

相馬邦道: 歯科矯正学とは,歯・顎顔面形態における成長発育やその後の増齢に伴った正常な形態と機能をはじめ,そこに生じた顎の異常な関係や不正咬合の病態を把握したうえで,均衡と調和を欠いたそれらの諸構造の状態を修復,もしくは予防することによって顎口腔機能の向上と顔貌の改善をはかり,ひいては生活の質的向上に寄与できるような研究と技術を追求する歯学の一分野である」

 

2019 6版 歯科矯正学 医歯薬出版

【矯正歯科学の定義】

歯科矯正学とは,歯・顎顔面形態における成長発育やその後の増齢に伴った正常な形態と機能をはじめ,そこに生じた顎の異常な関係や不正咬合の病態を把握したうえで,均衡と調和を欠いたそれらの諸構造の状態を修復,もしくは予防することによって顎口腔機能の向上と顔貌の改善をはかり,ひいては生活の質的向上に寄与できるような研究と技術を追求する歯学の一分野である」

【矯正歯科治療の目的】

歯並びや咬み合わせの不正,すなわち不正咬合のもたらす障害には,顎口腔領域で営まれる摂食,咀嚼,発音などの障害をはじめとして,審美性が損なわれることなどにより生じる,社会生活での不都合や心理的障害などがある.すなわち,不正咬合はquality of life(QOL)の低下をもたらす.矯正歯科治療はこのような顎口腔機能,また心理的,社会的な障害を予防・抑制・回復することにより,患者のQOLの向上に資することを大きな目的とする.

【不正咬合による障害】

     齲蝕の誘因

 ② 歯周疾患の誘因

 ③ 外傷の誘因

 ④ 歯根吸収の誘因

 ⑤ 咀嚼機能障害

 ⑥ 筋機能障害

 ⑦ 顎骨の発育異常

 ⑧ 発音障害

 ⑨ 審美的な欲求と心理的な背景

【矯正歯科治療の意義(医療の目的)】

歯科医療の中で矯正歯科治療の果たしている役割は,前述の顎口腔機能障害に対する予防,抑制,治療に留まらず,成長期の患者における顎顔面頭蓋の正常な成長発育を誘導することによって ,顎口腔領域や全身の健康を維持促進するとともに,患者の心理的,社会的な環境をより良い方向に向けることにより,患者のQOLを向上させることにも寄与している.さらに成人,高齢者における,補綴処置などを進めるに際しては,矯正歯科治療を加えることによって残存歯の位置,傾斜などを修正し,より良い治療結果を得ることに貢献している.また,矯正歯科治療により不正咬合を治療することは,成人,高齢者になって保存,補綴処置が必要になった際にも,その治療が無理なく施術できる環境を整備することに寄与しているとも考えられる.矯正歯科治療がこのような歯科治療全体の質の向上に寄与していることは,高齢者社会において,オーラルフレイルの進行の防止,高齢者のQOLの向上にも寄与しているということができる.

 

【矯正学における問題点】

Vig PS: Orthodontic controversies: their origins, consequences, and resolution. In Melsen B, ed. Current Controversies in Orthodontics. Chicago: Quintessence, 1991; 269-310.

従来より顎顔面生物学は矯正歯科臨床と研究の唯一の科学的基盤であった.矯正臨床と顎顔面生物学では互いの興味が明らかに重複している部分はある.しかし,矯正臨床は社会的,経済的,文化的要因にも大きく関与している.「新しいパラダイム」では,それらの相互関係をすべて認め,概念的にそれらを統合し,かつ研究面で矯正学を論理的に説明することを目指している.

 

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会長挨拶 会報41号(50周年記念号) 平成30年10月

 

 皆様,本日は広島大学歯学部歯科矯正学教室 開講50周年記念式典・講演会・祝賀会にご臨席賜り,厚くお礼申し上げます.

 まずは,今までの50年もの長きにわたる皆様方の本教室への変わらぬご支援にお礼申し上げますとともに,今後の教室の発展への支援,同門会活動への決意を申し述べさせていただきたくご挨拶申し上げます.

 教室は1968年(昭和43年)に山内和夫先生によって開講され,同門会は1975年に発足いたしました.ひとえに50 年といいますが,これはすでに親子の世代に渡ります.すでに同門会員全体の25%はご夫婦,親子といった個人個人のつながりのある組織構成となっています.

 今回の主役である教室員の皆様は,今まさに歴史の流れの一環に身を置いていることを是非,認識いただきたいと思います.時の流れは,この一瞬一瞬の連続で成り立ち,蓄積され,歴史へと形を変えていきます.連綿(れんめん)と続く歴史が,方向性を持ち,伝統が形成されていきます.

 ご臨席のご来賓の皆様も,本日ここでご一緒に時間を共有し,歴史を刻み,これからの歴史を拓いていく仲間として,今後のご研究や臨床において共同していただければ幸いです.

 午前中に,丹根一夫名誉会員,森山教授から「矯正歯科の過去と未来」についてお話いただきました.歴史を知ることは,過去の所業を理解し,今後の方向性を定める指針となり,広い世界観を得る上での第一歩になりました.

 50周年記念事業として,「過去を知り,未来を知る」という斬新な気持ちで,今後の矯正歯科の方向性を見つめる歴史的瞬間に立ち会うことができたことも,実行委員会の皆様方,同門会役員,教室員のご協力,そしてお忙しい中ご臨席を賜ったご来賓の皆様と会員の先生方に感謝いたします.

 今後も教室員の皆様が広大矯正科の伝統をしっかりと受け継がれていくことを祈念し,私の開会の辞とさせていただきます.ありがとうございました。

 会長 小澤 奏